cafe dé nanntoka

1に酒、2に音楽、3にアニメ、3、4がなくてあと余談

道交法と運転してる認識の差異について(例の自転車の車載カメラ映像を見て)

自転車用の車載カメラ、あるんですねー。というかバイクとかにあるもんだから当たり前と言えば当たり前か。

 

件の自転車が走ってるのを煽ったり、追い抜いて急ブレーキする動画を見て色々コメントを拝見してると、結構道路交通法とみんなの共通認識に結構差があるなというのは感じた。自分もだけど。

映像を見ると、まあど真ん中走ってる自転車みかけたらいやーだなーとは思いつつも、こんなこたあさすがに…といったところ。

色々意見を見てると、どっちが悪いかみたいな話で決着をつけたがるなみんなと思った。結論からいえば自転車が悪い派の根拠の「左に寄って走るな」の声には道路交通法にある

(左側寄り通行の例外) 第18条 車両(トロリーバスを除く。)は、車両通行帯の設けられた道路を通行する場合を除き、自動車及び原動機付自転車にあつては道路の左側に寄つて、 軽車両にあつては道路の左側端に寄つて、それぞれ当該道路を通行しなければならない。

 

(自転車の走行車線)第20条  車両は、車両通行帯の設けられた道路においては、道路の左側端から数えて一番目の車両通行帯を通行しなければならない。ただし、自動車(小型特殊自動車 及び道路標識等によつて指定された自動車を除く。)は、当該道路の左側部分(当該道路が一方通行となつているときは、当該道路)に三以上の車両通行帯が設 けられているときは、政令で定めるところにより、その速度に応じ、その最も右側の車両通行帯以外の車両通行帯を通行することができる。

という記述があるとおり、片側1車線の際は左に寄って走らなければならず、それが2車線以上になれば一番左の車線を走っていれば真ん中を走っても問題ないということになり件の車と過失相殺になるようなことはない。

加えて、自転車がその録画が始まる前に悪質なことをしたかもしれないという発言には交通弱者にあたる自転車がよっぽどのことしようが悪い根拠にはならない。

 

でも、ネット上では

「こんな性格の悪いようなことする自転車の方が悪い」

「自転車に出くわすとむかつく」

とか、といった声が目立ち何やら内部告発が日本の美徳に反するとかいう風潮で、正しいことをしていても支持を得にくいような現象に似ていなくもない。

 

加えて、自分も急いでるときにドカーンと車道をふさいでいる自転車のりの人に出くわしてもまあ何も思わなくもない。ネットのなかでは

「あいつら邪魔」といった声がすごくみかける。

この走行においては問題は明らかに車の方にあるようだけど、自分も割り切れない気持ちもあるしネットでは自転車が悪いという声が「共感」のもとに正義になっている感じである。

強い共感を得られるのは自転車悪い派、あとは何か分かったようなクチききたい俺みたいなのはとりあえず「どっちもどっち」っていうかな。

 

この話題を見てたら判例主義に偏りすぎた反省から取り入れられた裁判員制度を思いだした。裁判員の結論と裁判官下した判決の噛み合わないことが度々話題になっているが、条文を読んでからこういったネットの意見や自分が体験してみたことを思い出すと、なるほどこういうことかと勝手に納得してた。

 

 

サンダーボルト宙域にジャズは似合わなかった

「サンダーボルトにはやっぱフリージャズだ。」


「機動戦士ガンダム サンダーボルト」第1話PV(long ver.)

という予告編が最高にクールだなと期待が高まった、機動戦士ガンダムサンダーボルトアニメが全4話で終わった。

宇宙+ジャズ+ハードボイルドな世界観はスペースコブラカウボーイビバップにも通じると思った傑作。イオフレミングとダリルローレンツの死闘を彩る音楽も、モビルスーツ戦にはいままで使われてなかったジャズがドンピシャではまっていると感じる。疾走感と気を抜いたら死ぬ感じが、予定調和をよしとしないビバップのピリピリした感じに似ている。マイルスデイビスがそういえば、ジャズは格闘技だって言ってたか。

音楽を担当した菊地成孔は以前にはLUPIN the Third 峰不二子という女で、かつてはルパンといえば大野雄二という固定観念にもなりかけていた音楽の世界観をぶっ壊してくれたのも中な痛快。

で、このガンダムサンダーボルト、よくジャズが流れるがこの戦闘を印象づけるシーンではオールデイズ風というかなんとも野暮ったい昔のポップス風の音楽が流れる。そして、それが決着するときの音楽というものがなんとも印象深い。

ジャズという刹那的なものとして動画を彩る反面、感情的に動画を彩るにはザ・感動!というストリングなどの音楽よりも、昔のポップス風な音楽に仕立てるってのはいいかんじ。

そういえばサンダーボルトにはやっぱフリージャズだ!ってところ実際にフリージャズが流れてこなったな。

わからない人に説明するなら、あのビームサーベルキャトルミューティレーションされたところで流れたのがフリージャズです…。

 

 

人の不幸が飯の種の人

というか、人の不幸を発端にしたことで筆をとる私。

……

被災地には「邪魔」な存在でも、メディア抜きでは「救済」できない

結構話題になっていたので。本当にメディア抜きでなければ救済できないというのかという話はさておき、真に批判すべきは硬直化する日本の行政システムであると。

まあどっちも同じくらい批判されてる気もするが、行政は当事者っちゃ当事者だから批判しづらくて、いつものマスメディア批判がしっくりくるともいえる。このジャーナリストの方が正義感で報道に携わってるとしたら、確かに後ろ指さされるようなことがあったら我慢できないかもしれないが、正しいと思ってやってるのなら後ろ指さされようが、なんだろうが黙々とやってたら?

と。

ここで、戦場カメラマンの宮島茂樹を思い出す。不肖宮島の。

この人の本は中々へーってことが書いてあるし、氏の職業観はなかなかすごいなと。

氏の職業観としては、割とよくないことが起こってると同写真を撮るかということを考えてる感じで非情にも感じる。が、人の不幸で飯を食ってるということを自覚しなきゃいけないということをも言ってるのであり、道徳観をもってはいるが正義感という言葉はあてはまらない。

報道写真を撮るということが社会にどう役立つかよりも、必要とされることを淡々とこなしていくからこそ賞賛をされる写真がとれるんだろうなと。撮ったあとの写真はそれを受け取った人たちがどう役立てるか考えた方がいいわけで。

 

この人の出世作の、麻原の留置所での写真だってそれ見てどう役立つの?というとかあるけど。余談だけど、この人いうには政治家は便所の中しかプライベートはない、芸能人にはプライベートなんてない!と言ってて、芸能人の不倫とかプライベートなことにはあまり…という声が霞む。

 

この人は非情さを感じるけど、ちゃんと(その人なりの)道徳観を持ってるとなと思うし、売れる写真を淡々と撮ってるわけだ。

叩かれても必要だと思われることをしてるっていうだったら、続ければいいような気もするが、マスコミ業界でヘリを飛ばすのを自粛したりという動きがあるのをこの記事の方は危惧していると。

本当に災害時に必要な働きをマスコミがするのなら、我先にと派手な絵を撮ることに終始するのではなく、ガイドラインでも作って業界でまとまって批判のないよう動いたらという気もする。

それこそ、災害発生で我先にと動くことしか能がないようなら硬直してると言わざるをえないのでは。

 

 

ジョークを言うセンスで車を運転できるかっつーの

最近、仕事関係の人と世間話をしてて気づいたことをば。

知り合いに元気な爺さんがいてさ~みたいな話。

 

その人の話すところによると、知り合いの爺さんが自動車運転免許を更新しに来て年齢を確認したところ九十数歳になる年齢を聞いた免許センターの職員さんが「70歳じゃないんですか?」と驚いて間違いではないかと問うと

「そんな頃もあったもんだ」

と、いったジョーク的なものをおっしゃったそうでその話をした人は感心してこの方はまだまだ元気だなと思われたそうで。

 

でも、本当にジョークで車なんて運転できませんですぜ。人間の反射神経は年齢とともに確実に衰えるから、とっさの判断は確実にできなくなるし視界も狭まる。

人でもはねたあとにその場をしのぐジョークでもいったりするもんですかねと。

でも、これに限らず老人に絶大な信頼を寄せる方々のエピソードでこういったものが目立つ。

特に珍しい現象でもないけど、ハロー効果ってやつ。ある出来事で対象人物の全体の評価が決まってしまうというやつ。人を見た目で判断してはいかん的なノリに近い。いわゆる認知バイアス

 

高齢化社会に一億層活躍といってみんなまだまだやれると意気込むのもいいけど、ここらへん頭においときたいねと思った今日。

 

 

ホセムヒカ元大統領のお言葉でお金について考えてみる

ホセムヒカ元大統領が来日して色々と講演を行ったりテレビに出演したりとしている

 ホセ・ムヒカ - Wikipedia

 1000ドル強で生活する世界一貧しい大統領で名の知れた氏であるが、テレビ出演を求められるだけあって局にとってはどんな役を演じてもらうかということを考えているだろう。

もちろん珍しい人というだけの存在として呼ぶとも考えづらい。清貧をモットーとしているホセ氏を紹介することによって、今恵まれているとも言い難いひとたち(視聴者)にこういう貧しさを苦にしないひとを紹介する。そして、その人に弱者を見捨てずに経済成長をし続ける日本というものを見せて感心させる。それによって視聴者に強い日本というものを実感させると。

番組のコメントなどを見てたら、そういう風に仕立てたいんだなーとは思ってたけど、やはり氏の反新自由主義的な思想はごまかせるわけもなく、ある意味痛快でしたがw

お金がなくても一生懸命働いて強い国!って感じの新自由主義はなかなか思い通りにいかないのかなと。

 

で、このムヒカ氏の名言的なものでよく触れられてる

本当に貧しいのは物欲が尽きない人

という言葉。本当にこれは安い金で人をこきつかいたい人たちにいいように引用されそうになる気もするけど、これに加えて他にもある。

人は物を買うとき、お金を使ってるのではなく人生の大切な時間を使っている

と。

やりがいで仕事を選ぶ人が多いく、金や安定性を求めない人が多いと以前ガイアの夜明けの炎上ツイで言われていたが、これはやりがいのために金を求めず仕事をしろといってるわけでなく、物欲を満たすために人生の貴重な時間を費やすことはないってことだろうなと。

今、どこもとにかく働いていないとという強迫観念に似たようなものが漂っているが、働かなくてもそこまで欲しいものないしなーって感じで、市場原理がちゃんと働いて適正な労働条件になったら働くかーってなってもいいんじゃないでしょうかねって思うのだけどねーと。

 

春だから葉加瀬太郎の芸術は人間性に関係ある理論を擁護してみる

春、そろそろ社会に放流された右も左もわからない稚魚たちが虫の息なんじゃないかと心配してる。自分も虫の息だけど。

 高嶋ちさ子の“子育て論炎上”に葉加瀬太郎が反論 「あんなに純粋で美しい音色を奏でられる人に悪い人がいるわけがない」と持論述べるも炎上 - ねとらぼ

 高嶋氏を擁護するというよりは葉加瀬氏を擁護する感じで書く。まあこの擁護発言は事態をブーストさせたからご友人として正しい行為かはさておき…

 

春だから、というわけでそろそろ新社会人も会社の中の人々を見て自分もあんなスマートに仕事こなす人みたいになりたいなという気持ちになることもあるんではないか。

これも非常に自分も覚えがある。仕事をしながらも自分をしっかり主張して、人生を楽しんでいる人をうらやましく思い、こうありたいなと。

これが仕事できなかったら、なんなのアイツ…という風に思ってたことだろう。

 

社会における拘束時間の多くを占める仕事、この中ではできる人とできない人、これらで人間性を見てしまうことは無意識を含めてかなり多いのではないかな。

その最たるものが採用面接とかいえるんじゃないかと。

 

この仕事ができるできないで、人間性を判断してしまうところは同業他社の人と話す機会でもなんとなく判断してしまう。この人と働ける人は幸せそうだなみたいな感情とともに。

 

話を高嶋氏を擁護した葉加瀬氏に戻そう。葉加瀬氏も高嶋氏も決して趣味で演奏をしているわけではない。そう、仕事としてだ。職業芸術家、演奏家といえる。

我々が仕事をできる人に対しての人間性を混同したような眼差しを、葉加瀬氏は高嶋氏に抱いているといってもよい。

 

人間性と芸術は関係があるということは中々理解を得られないが、仕事ができる人は人間としてもできてると書けばかなり印象が違うんじゃないかな。

と、結局立場が違う人がでてきて擁護したりすると発端であるゲーム機の破壊とかについてどうでもいいじゃんみたいになって噛み合わない例のひとつなんだなと確認したのであった。

 

 

ヤバイヤバイとか言われてるパナマ文書のもたらすもの

パナマ文書によって、オフショア金融を取り仕切る法律事務所の顧客リスト(3TB近く、1000万件以上!)が流出されて、今ものすごいことになっている。ちょっとすごすぎてなかなピンときてないので、個人的にちょっと整理。

 

「パナマ文書」が3分で分かる。ジャッキー・チェンやメッシの名前も

  オフショアとは、海岸線の外側を意味するもので、ざっくりいうと課税を逃れるために財産をタックスヘイブンなどといわれる地域に移すことなどをいう。この課税のがれのための取引は複雑化しており、ちょっとやそっとでは国税局も把握できず、違法であるとはされていない。

違法ではないといういことは、合法ではないということでもない。違法である証拠をつかむことができない状態であるということだ。つまり極めて不当という表現がぴったりというわけだ。

パナマ文書に見つけることができる日本の上場企業はすでに上がってると言われ確認作業が行われている。

このパナマ文書の信ぴょう性というものは怪文書のたぐいではなく、裏付けをもったものであるとされているためアイスランドの首相の退任や、各国で捜査が始まるなどすでに具体的な波紋を呼んでいる。日本においては菅官房長官が政府としては調査しないとコメントしたばかりではあるが、名の上がった各社も含めて対応に注目が集まっている。

 

こういった話題を見ると、よく言われている

「多少賢い人の節税でしょ?仕組みの隙をついてやってて問題ないんでしょ?」

という声を見る。

これは法律の規制が追いつかないから仕方ない、成功者はリスクを負っているから多少いい思いをするのは仕方ないといったような規模の話ではない。

一部の富を得た人たちや企業がそれをせき止めているのだ。不当な手段で。

 

いかに具体的にどういったものかと説明すると、日本では法人税は赤字なら軽減されたり払わなくてもよい仕組みになっている。そこで、このパナマにペーパーカンパニー(実態のない会社)を作り、取引をして、そこに莫大な支出をし赤字になったことにして、法人税を払わないという算段だ。この支出は複雑な金の経路をたどりその企業にもどってくる。それもごく一部にだ。

ペーパーカンパニーかどうかなんて知る手段はないし金の動きも複雑化してるから摘発なんてできないのだろうが、こんなところの顧客に名前を連ねてる時点でお察しといったところだ。

 

その総額を見ると、日本企業においては3年で50兆円ともいわれており、それが適正に徴収されてれば赤字国債を乱発することもないし消費税を引き上げることもなかった、むしろなくせた。とさえ言われる額だ。社会福祉の拡充だってできた。

 

このパナマ文書がもたらす影響はとてつもない。911の衝撃に匹敵するとさえ言われている。我々のすむ日本ではどういった影響があるか?

近年は法人税の減税や、消費税の引き上げを訴える政府は景気は上向いていると成果を主張するが、社会保障の財源がないという理由をつけて説明してはいる。大体の国民も民主党政権の時の埋蔵金探しで幻滅したせいか、そうなんだろうなという気持ちで受け入れてはいた。

しかし、このパナマ文書が暴露した財源を見たら様々な税負担の説明に納得することはなかなかできない。この事態を引き起こしたのは米国の陰謀とか、裏で糸を引いてるやつがいるといったことは往々に言われているが、事実は明かされた。パンドラの箱は開いてしまったのだ。

これをうけて日本では朝日新聞共同通信はこの一大リークプロジェクトに協力したとされているが、なかなか控えめな反応である。

国内ニュースも中国習近平の話題が中心で日本企業の闇にはなかなか切り込む感じは見えない。とにかくワールドワイドな話題として報道することにより身近さを薄れさせるようにも感じる。

というのも電●の名前が載ってるからとうわさされてるのもあるんだろうなとか邪推してみたり。

これを受けて大きく日本の徴税の体系が変わるのか、声をうけて政府が政策の変更をするのかといったものがもたらされるかもしれない。

しかしながら、政府や経済界がシラを切り通して実際に国民が興味を持つことがなかったねってなったら「国民、世論こんなもんか」と、いう試金石になってしまうということもある。

この権力者にこんなもんかと思わせて安心させてしまう可能性もあるというところが、パナマ文書のパンドラの箱を開けてしまったかというところであるんじゃないかと。

 

 

 

というかこのいきなり暴かれる世界の欺瞞、アニメだと攻殻機動隊とかあたりの思い起こして結構燃えますね。