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はあちゅう氏の童貞いじりはセクハラではないと思う。 ~ #metoo ~を発端にした地獄の釜の蓋の閉じ方

著名な作家、ブロガーのはあちゅう氏が元電通の岸勇希氏を告発して話題になりました。

www.buzzfeed.comその後、告発したはあちゅう氏が炎上するまでの流れがこちらです。ちょっと炎上をウォッチする視点によりすぎてはいると思いますが、炎上する理由などを含めてみるのはこちらがわかりやすいかと。

hagex.hatenadiary.jp

 

この件に関し、セクハラの告発をお互いさまということにしてはいけないということはネット上での大方の意見ではないでしょうか。告発と童貞いじりを混同してはいけないという意識ははあちゅう氏を批判していた人のなかでは共有できていた気がします。

それはそれ、これはこれ、と。告発された岸氏の罪は軽くならないが、はあちゅう氏もジェンダー問題を扱う土俵にあがったから糾弾をまぬかれないといったようなところが大方でしょうか。

#metoo運動の勇気ある告発者を責めてはいけないという意見についても、少なくとも告発したことを責めるような人は少数であったと思います。告発者はやましいことを一切していない潔白が求めらなければいけないことは無いなんてことはないと思いますが、今この告発をしている間はほかのことは黙っていろと言い放つのは、それこそ告発者の潔白を求めているのではないかといえるのではないでしょうか。

告発のタイミングがたまたま本の発言と重なったのは、セクハラ被害をうけた事実はあるわけですからいつでもしていいと思います。同様に、過去の配慮のなかった発言の議論が起きるのも性の問題に関する意識の高まった今でもいいのではないかともいえるでしょう。

そして、#metoo運動はネット上でリンチにするキャンペーンではなく、セクハラ被害にあう人に勇気を与えたり社会で問題を考えるきっかけになればという願いがあったはずです

 

はあちゅう氏の童貞いじりについて追及している人の考え

もちろん、はあちゅう氏が気に入らなくてこの機に乗じて叩こうという魂胆の人が少なからずいるということは否定できないでしょう。

しかし、セクハラを考えるきっかけになってほしいという#metooの願いのもとにはあちゅう氏に童貞いじりについても考えてほしいという人も多くいたはずです。

不特定の童貞いじりがセクハラにあたるかどうかという議論は様々ありますが、性体験の無い人を揶揄する個人対個人のセクハラのハードルを下げたり、童貞いじりのセクハラを受けた人の心の傷をえぐるようなことなのはたしかです。それをはあちゅう氏のセクハラ被害と同列に扱おうなんて私は考えません。また、もちろんはあちゅう氏の告発は私も支持します。

 

童貞いじりがセクハラにあたるかについて

 

吉田豪氏は童貞いじりはセクハラではないという考えながら、それについて触れることについて要する慎重さについて触れています。

tablo.jp

 

これを読んで、自分は男からの童貞いじりは仕方ない、我慢すべきという考えでしたが、この#metooをきっかけにハッキリだめだと言える考えに至りました。はあちゅう氏はこの童貞いじりが雑だったために批判をうけているという事実はあるものの、セクハラしたやつがセクハラしているというレベルになってしまうのも違和感があるところです。同じセクハラだが、形の違うセクハラだというのはわかりかねます。

批判を受けるような言動をしてしまったということは確かであり、自分はこの場合は性に関する失言をしてしまったということが適切な表現であると考えます。

 

童貞いじりでセクハラはフラッシュバックする

はあちゅう氏の辛いセクハラ体験の記事を引用もしくは紹介する人が、過去にセクハラ体験をした方はフラッシュバックする可能性があるということを注意で前置きしているのを見ました。

自分も新卒で会社に入社したての頃は、なかなか覚えが悪く仕事もこなせなかったので先輩社員の男女や同僚の男女から「これだから童貞は」みたいなこと言われまして、なかなか傷ついた記憶がはあちゅう氏の過去の動画や発言を見てフラッシュバックしました。

他のセクハラ被害にあわれた方の辛さとはくらべものにならないかもしれませんが、仕事ができない自分へのくやしさと、触れられたくないことに触れられた悔しさで涙がでそうだった記憶がよみがえりました。

ツイッターで印象深いなと思った人のツイートです。

 

はあちゅう氏のような発言力のある人の無神経な発言は不意に誰かの傷をえぐることがあります。はあちゅう氏の#metooの流れの中で、セクハラによる糾弾を受けてほしいと願っているわけではなく、失言を認めて性に関するこの問題提起を無駄にしてほしくないと私は考えていますが、やはり開きなおってしまった今となっては難しいのではないかなと。

 

性に関する配慮は表現の自由を妨げるのか

この件に関し、はあちゅう氏は完全に開きなおり自分らしくなかったと謝罪文を撤回し表現の問題であるし謝ることはなかったという考えにいたりました。童貞いじりができないようじゃ世の中窮屈だという声もネット上で見られました。

しかしながら、過去をさかのぼると黒人を揶揄するようなミンストレルショーや女性への侮辱にあたるような表現など、今では考えられないようなものがあっても、それは今はなくなっていたりするものなどがあります。

これらの問題がなくなったというわけではないですが、当時は当たり前だったものが時間をかけて今では到底受け入れられないものとして人々はみなすことができるようになるのです(これらの問題を童貞いじりと同レベルに扱うというわけではなく、姿勢としての例えです)。私はこういった流れは決して表現を後退させたり言葉狩りにあたるものではないと思います。

 

これ以上日本の#metooによる焼野原が広がらないようにするためには

はあちゅう氏が開き直って、いつもの炎上ショーになってしまったという見方があります。もちろんそんなことで終わるのはもったいないことです。セクハラも、性に関するいじりもする方の本人たちは無自覚であったりすることが多いです。それを、#metooを機会に、あれは悪かったこれも悪かったとみんなで気が付いてそれをよりよくしていくためのきっかけになってほしいという願いだったはずです。

はあちゅう氏の告発に関わったヨッピー氏も様々な批判をこの件で受けていますが、それをきっかけに自身の過去の発言が性的配慮をかけていたことを振り返られています。そして、これからも自分がセクハラにあたる発言をしないと言い切れないとおっしゃってますが、これは私も誰かの性的配慮にかける失言をどこかで絶対にしないとは言い切れません。

セクハラや性的配慮をかけた失言は、多くの場合本人にとって無自覚だったりするのです。ですから、なるべくそうならないために自身が加害者になるかもしれないという想像力を常に持つことが大事だと考えます。

べたで漠然としたまとめになりますが、社会をよりよくしていくためには、そこに暮らしている様々な人や物事を知り、何かをしたらどうなるかということを常に想像していくことが大事だと考えています。そしてその中のきっかけや材料にこのたびの#metooを組み込むのが大事なのではないかと思います。

今回の告発に関わったネットメディアBuzzfeed日本でも広がる「#metoo」 しかし、勘違いしないでほしいでは

もちろん男性が女性に、とは限らない。女性が男性にするケース。また同性間でもあり得る。

としっかり訴えています。テレビなどでもこの件が取り上げられたりもしましたが、#metooムーブメントが立ち上がる女性たちというようなショーとして視聴者に見せたいようにも感じましたが、あくまできっかけなのです。

同様に、この件もはあちゅう氏が暴走するのを眺める炎上ショーになりはててしまいそうな空気もありますが、そうなってはいけないと思います。はあちゅう氏の今までのスタンスとして、過去の失言(前述のとおりセクハラとまではいえないと私は考えます)を中々認めることのできない難しさも、社会一般に広がっているセクハラ問題解決の妨げに通じるものがあるかもしれません。

ですから、これははあちゅう氏を謝らせるまで粘着する炎上ショーではなく、こういった氏の言動も受け入れてきっかけのひとつとし、今すぐ解決できなくても多くの人で考えて想像し続けるしかないのではないかと思うわけです。