cafe dé nanntoka

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歌ってみた文化論

NHK FMが祝日に主に行っている今日は一日三昧、本日は今日は一日歌ってみた三昧だった。歌ってみたとはニコニコ動画で既存の曲を”歌い手”と言われる人々が投稿したものにつけられるタイトルやタグなどであり、踊ってみたなどに並びニコニコ動画を飛び出して注目を集めているようで、このたびも三昧で登場した。

この中で、ラジオの人が歌ってみた文化という言葉を何度も使っているのを印象深い。たしかにこの歌ってみたやニコニコ動画のノリというものもある程度の規模でみんなが共有していれば文化といえる。誇大表現とはいえないのかも。

 

既存の楽曲を歌うということが歌ってみたなのである。この既存の楽曲というところが肝。オリジナル曲を投稿することではない。

今までも既存の曲を歌うということはあった

例として

 

・他人歌唱系

本人歌唱とホームセンターやパーキングエリアで売ってるCDに書いてあるのをよく見ると思う。本人が歌ってるにきまってるんじゃないかと思ってツッコミたくなるのはわかるが、これは昔は原盤使用料のかかるそのまんまの楽曲を編集したCDよりも、著作権料を払って他の人が歌い、演奏しなおした方が早いということ。最近では音ゲーに使われるポップスがこういった関係から他人が歌ってると思われるものがある(各パートのパラデータの関係かもしれないけど。)。

 

・アレンジ系

既存曲をリミックス、サンプリング、アレンジなど。これはジャズ、ボサノバ、ダンスミュージックなど。既存曲を土台に物自体を作り変える。また、既存の演奏を使いながらも違う歌にするものなんてものもある。これはここで語りつくせないほどの文化性がある。ブートレグといった海賊盤なども含め。

 

・スタンダード系

これは非常に歌ってみたに近い。ジャズ、ロック、歌謡曲でも定番の名曲を収録する場合が多い。こちらはある種の試金石のようにもなっている。ある程度知名度のある曲を入れておけば手に取ってもらえるような狙いもあるかもしれないが、その歌手の歌唱力や個性を共通の名曲を歌うことによってアピールする狙いがあるともいえる。また、その曲を収録するということに拘るといったことも含め、文化性があるといっていい。

のど自慢やコンクルール文化もこの系統といえる。

 

・カバー系

これは昨今のカラオケマシーンの採点機能の強化によってバラエティー番組で人気を博するなど、歌唱力ブームによって乱発されてるカバーアルバムのそれ。スタンダード系のコンクールとは似通っているが、よりシビアに歌唱力を重視している。既存曲の本人が歌っている方は、歌っている人の個性や諸々などを込みで聞くものとして、カバーはより歌唱力のある歌手がみんなの知っている曲を歌うということに価値を見出しているような売り方が見られる。非常に文化性を排しているようにも見られるが、昨今の歌ってみたも多少の流れを汲んでいるようにも見えた。

 

・そして歌ってみた

自分はニコニコ動画youtubeに寄生してた頃のちょっとあとに登録したので、歌ってみたや初音ミクの登場をリアルタイムで見ていたが、ここまでになるとはと。実際あまりよくは見聞きしてはいなかったが、歌ってみたはこのスタンダード系やカバー系に加えて新たな流れを汲んだ文化になっていると思う。

ニコニコ動画ではやっている曲、みんながチャレンジする曲としてのスタンダードや、歌のうまさを競うカバー系の流れ。

この中でも歌がうまいだけでなく、その”歌い手”の個性も人気になる重要な要素のひとつであるといえる。そもそも歌い手なので歌手という肩書ではない。ニコニコ動画では○○手といったある種の役割や属性を名乗る。こういった肩書により、ニコニコ動画内のコミュニティに入り込みソーシャルな世界で自身の表現を行うことができる。

その中で人気になるということは色々なやり方があるといえるが、ユーチューバーなんかが近い存在でもあるような気がする。顔出しとか色々あるんだけど。

歌手が売れるためには今までのレコード会社は初登場何位だの何千人のオーディションを勝ち抜いただの、さらに古くはのど自慢荒らしからスカウトなど色々あった。その中に売り出して大衆に迎え入れられるためのストーリーを見出させるためもあるといえる。

これが歌ってみたにおいてはストーリーとして機能するのが歌い手としてニコニコ動画内で人気を博していることだ。ネットの住民、とくにシビアにランキングを気にするニコ動の住民はステマに厳しい。これ以上にない口コミの正当な評価に映るかもしれない。信者とかそういう呼ばわりは昔からネットではあったけど。

 

これらを踏まえ歌ってみた文化について

こういった文化の中ではやはり歌い手も、単に歌手以上に個性を期待されているような存在に映るようで「○○さんの歌った○○」といったような感じでワクワクされているようなケースが目立つ。ヒット曲がなかなか出づらくなり、楽曲の表現方法が複雑化していく中、ニコニコ文化の既存の曲を歌ってそれぞれの個性を楽しむというものはスタンダード系やカバー系を合わせたものに加えてネットの人気者の表現が合わさったものだと。

様々な表現を行うプラットフォームとなりうるサイトは様々ではあるが、日本においてはニコニコ動画youtubeが特に強力ではある。しかしながら、youtubeは広大すぎて何かニコニコ動画のようなソーシャルなものを感じずに文化性も見出しにくい。アップロードスペースのようなものにしか感じにくい。

対してニコニコ動画SNS機能などを実装し、表現を通じ他人とつながりたいナウなヤング(死)の願望をかなえるものであり、人と人の交流においては文化が生まれるのは当然な流れなのだろう。

しかしながら、こういった同じ曲を歌い○○さんが歌ったものといったもので違いを見出し、その歌い手などの違いを楽しむといったことはかつてのインターネットのカオス感のようなものをあまり感じず、こういったものが割と初期から登録してるオジサン世代の自分としては中々なじめないようなところがあるのかもしれない。

ちょっとカオス感って言葉でごまかすのダメですね。