cafe dé nanntoka

1に酒、2に音楽、3にアニメ、3、4がなくてあと余談

アニメ亜人を一気に見て本性なんぞについて考えてみた。

アニメ、亜人たまってのを一気に見終えた。3D表現にややとまどいつつも、徐々に見ていくうちにこれでしかできないな!と思った。

話としては、この主人公永井が望まない状況を強いられ、徐々に自身の性格が表れていくことに気づいたり、強くなったりといったところがワクワク要素だった。もちろん、佐藤さんもすっげーのが見ててスリリング。

 

この永井君、色々本人が望まないのにどんどん強くなったり本来の性格のようなものがあらわれていたりというわけだけど、結構我々の生活でも追い詰められて本性を現したなアイツみたいなことっていうよね。

 

本性を現しやがったとかいう例

本性を現した例といえば、よくいうバックレとかそのばしのぎなどといったものがあったあと、もしくは裏切りのようなものがあったあとに言う。積極的に人を陥れようとかそういう場合を除いて、こういった本性つまりは回避行動というものは人間、いや生物というものにはそもそも備わっているものだ。

どうにもこうにもうまくいかなくなって本性をあらわす、バックレ的なものは生物として当然の機能なのだ。このままここにいたらヤバイみたいな。

 

本性を図ろうとするような

さて、大分昔から圧迫面接のようなものでストレスをあたえることによって本来の自分を見るといったようなものを取り入れているような企業も多い。人間の本性、なんて自分の身を守ることと繁殖。それにつきる。

むしろ社会にいきるということはそれらを遠くにおいて過ごせるかということだ。過酷な環境の中で他の人が脱落していくのを見て本性を現したななどといってるのは、そう言ってる人が本性を失っているということなのではないだろうか。