ジョークを言うセンスで車を運転できるかっつーの
最近、仕事関係の人と世間話をしてて気づいたことをば。
知り合いに元気な爺さんがいてさ~みたいな話。
その人の話すところによると、知り合いの爺さんが自動車運転免許を更新しに来て年齢を確認したところ九十数歳になる年齢を聞いた免許センターの職員さんが「70歳じゃないんですか?」と驚いて間違いではないかと問うと
「そんな頃もあったもんだ」
と、いったジョーク的なものをおっしゃったそうでその話をした人は感心してこの方はまだまだ元気だなと思われたそうで。
でも、本当にジョークで車なんて運転できませんですぜ。人間の反射神経は年齢とともに確実に衰えるから、とっさの判断は確実にできなくなるし視界も狭まる。
人でもはねたあとにその場をしのぐジョークでもいったりするもんですかねと。
でも、これに限らず老人に絶大な信頼を寄せる方々のエピソードでこういったものが目立つ。
特に珍しい現象でもないけど、ハロー効果ってやつ。ある出来事で対象人物の全体の評価が決まってしまうというやつ。人を見た目で判断してはいかん的なノリに近い。いわゆる認知バイアス。
高齢化社会に一億層活躍といってみんなまだまだやれると意気込むのもいいけど、ここらへん頭においときたいねと思った今日。
ホセムヒカ元大統領のお言葉でお金について考えてみる
ホセムヒカ元大統領が来日して色々と講演を行ったりテレビに出演したりとしている
1000ドル強で生活する世界一貧しい大統領で名の知れた氏であるが、テレビ出演を求められるだけあって局にとってはどんな役を演じてもらうかということを考えているだろう。
もちろん珍しい人というだけの存在として呼ぶとも考えづらい。清貧をモットーとしているホセ氏を紹介することによって、今恵まれているとも言い難いひとたち(視聴者)にこういう貧しさを苦にしないひとを紹介する。そして、その人に弱者を見捨てずに経済成長をし続ける日本というものを見せて感心させる。それによって視聴者に強い日本というものを実感させると。
番組のコメントなどを見てたら、そういう風に仕立てたいんだなーとは思ってたけど、やはり氏の反新自由主義的な思想はごまかせるわけもなく、ある意味痛快でしたがw
お金がなくても一生懸命働いて強い国!って感じの新自由主義はなかなか思い通りにいかないのかなと。
で、このムヒカ氏の名言的なものでよく触れられてる
本当に貧しいのは物欲が尽きない人
という言葉。本当にこれは安い金で人をこきつかいたい人たちにいいように引用されそうになる気もするけど、これに加えて他にもある。
人は物を買うとき、お金を使ってるのではなく人生の大切な時間を使っている
と。
やりがいで仕事を選ぶ人が多いく、金や安定性を求めない人が多いと以前ガイアの夜明けの炎上ツイで言われていたが、これはやりがいのために金を求めず仕事をしろといってるわけでなく、物欲を満たすために人生の貴重な時間を費やすことはないってことだろうなと。
今、どこもとにかく働いていないとという強迫観念に似たようなものが漂っているが、働かなくてもそこまで欲しいものないしなーって感じで、市場原理がちゃんと働いて適正な労働条件になったら働くかーってなってもいいんじゃないでしょうかねって思うのだけどねーと。
春だから葉加瀬太郎の芸術は人間性に関係ある理論を擁護してみる
春、そろそろ社会に放流された右も左もわからない稚魚たちが虫の息なんじゃないかと心配してる。自分も虫の息だけど。
高嶋ちさ子の“子育て論炎上”に葉加瀬太郎が反論 「あんなに純粋で美しい音色を奏でられる人に悪い人がいるわけがない」と持論述べるも炎上 - ねとらぼ
高嶋氏を擁護するというよりは葉加瀬氏を擁護する感じで書く。まあこの擁護発言は事態をブーストさせたからご友人として正しい行為かはさておき…
春だから、というわけでそろそろ新社会人も会社の中の人々を見て自分もあんなスマートに仕事こなす人みたいになりたいなという気持ちになることもあるんではないか。
これも非常に自分も覚えがある。仕事をしながらも自分をしっかり主張して、人生を楽しんでいる人をうらやましく思い、こうありたいなと。
これが仕事できなかったら、なんなのアイツ…という風に思ってたことだろう。
社会における拘束時間の多くを占める仕事、この中ではできる人とできない人、これらで人間性を見てしまうことは無意識を含めてかなり多いのではないかな。
その最たるものが採用面接とかいえるんじゃないかと。
この仕事ができるできないで、人間性を判断してしまうところは同業他社の人と話す機会でもなんとなく判断してしまう。この人と働ける人は幸せそうだなみたいな感情とともに。
話を高嶋氏を擁護した葉加瀬氏に戻そう。葉加瀬氏も高嶋氏も決して趣味で演奏をしているわけではない。そう、仕事としてだ。職業芸術家、演奏家といえる。
我々が仕事をできる人に対しての人間性を混同したような眼差しを、葉加瀬氏は高嶋氏に抱いているといってもよい。
人間性と芸術は関係があるということは中々理解を得られないが、仕事ができる人は人間としてもできてると書けばかなり印象が違うんじゃないかな。
と、結局立場が違う人がでてきて擁護したりすると発端であるゲーム機の破壊とかについてどうでもいいじゃんみたいになって噛み合わない例のひとつなんだなと確認したのであった。
ヤバイヤバイとか言われてるパナマ文書のもたらすもの
パナマ文書によって、オフショア金融を取り仕切る法律事務所の顧客リスト(3TB近く、1000万件以上!)が流出されて、今ものすごいことになっている。ちょっとすごすぎてなかなピンときてないので、個人的にちょっと整理。
「パナマ文書」が3分で分かる。ジャッキー・チェンやメッシの名前も
オフショアとは、海岸線の外側を意味するもので、ざっくりいうと課税を逃れるために財産をタックスヘイブンなどといわれる地域に移すことなどをいう。この課税のがれのための取引は複雑化しており、ちょっとやそっとでは国税局も把握できず、違法であるとはされていない。
違法ではないといういことは、合法ではないということでもない。違法である証拠をつかむことができない状態であるということだ。つまり極めて不当という表現がぴったりというわけだ。
パナマ文書に見つけることができる日本の上場企業はすでに上がってると言われ確認作業が行われている。
このパナマ文書の信ぴょう性というものは怪文書のたぐいではなく、裏付けをもったものであるとされているためアイスランドの首相の退任や、各国で捜査が始まるなどすでに具体的な波紋を呼んでいる。日本においては菅官房長官が政府としては調査しないとコメントしたばかりではあるが、名の上がった各社も含めて対応に注目が集まっている。
こういった話題を見ると、よく言われている
「多少賢い人の節税でしょ?仕組みの隙をついてやってて問題ないんでしょ?」
という声を見る。
これは法律の規制が追いつかないから仕方ない、成功者はリスクを負っているから多少いい思いをするのは仕方ないといったような規模の話ではない。
一部の富を得た人たちや企業がそれをせき止めているのだ。不当な手段で。
いかに具体的にどういったものかと説明すると、日本では法人税は赤字なら軽減されたり払わなくてもよい仕組みになっている。そこで、このパナマにペーパーカンパニー(実態のない会社)を作り、取引をして、そこに莫大な支出をし赤字になったことにして、法人税を払わないという算段だ。この支出は複雑な金の経路をたどりその企業にもどってくる。それもごく一部にだ。
ペーパーカンパニーかどうかなんて知る手段はないし金の動きも複雑化してるから摘発なんてできないのだろうが、こんなところの顧客に名前を連ねてる時点でお察しといったところだ。
その総額を見ると、日本企業においては3年で50兆円ともいわれており、それが適正に徴収されてれば赤字国債を乱発することもないし消費税を引き上げることもなかった、むしろなくせた。とさえ言われる額だ。社会福祉の拡充だってできた。
このパナマ文書がもたらす影響はとてつもない。911の衝撃に匹敵するとさえ言われている。我々のすむ日本ではどういった影響があるか?
近年は法人税の減税や、消費税の引き上げを訴える政府は景気は上向いていると成果を主張するが、社会保障の財源がないという理由をつけて説明してはいる。大体の国民も民主党政権の時の埋蔵金探しで幻滅したせいか、そうなんだろうなという気持ちで受け入れてはいた。
しかし、このパナマ文書が暴露した財源を見たら様々な税負担の説明に納得することはなかなかできない。この事態を引き起こしたのは米国の陰謀とか、裏で糸を引いてるやつがいるといったことは往々に言われているが、事実は明かされた。パンドラの箱は開いてしまったのだ。
これをうけて日本では朝日新聞と共同通信はこの一大リークプロジェクトに協力したとされているが、なかなか控えめな反応である。
国内ニュースも中国習近平の話題が中心で日本企業の闇にはなかなか切り込む感じは見えない。とにかくワールドワイドな話題として報道することにより身近さを薄れさせるようにも感じる。
というのも電●の名前が載ってるからとうわさされてるのもあるんだろうなとか邪推してみたり。
これを受けて大きく日本の徴税の体系が変わるのか、声をうけて政府が政策の変更をするのかといったものがもたらされるかもしれない。
しかしながら、政府や経済界がシラを切り通して実際に国民が興味を持つことがなかったねってなったら「国民、世論こんなもんか」と、いう試金石になってしまうということもある。
この権力者にこんなもんかと思わせて安心させてしまう可能性もあるというところが、パナマ文書のパンドラの箱を開けてしまったかというところであるんじゃないかと。
…
というかこのいきなり暴かれる世界の欺瞞、アニメだと攻殻機動隊とかあたりの思い起こして結構燃えますね。
ヒッドイのは匿名だからじゃない ~新潟上越高田のボート転覆事故の話題を見て~
堀でボート転覆、少年1人死亡 新潟・上越の高田城:朝日新聞デジタル
このニュース、事故の状況の目撃者が話すところによるとこの少年たちがふざけてボートを揺らしていたという話があったという。そこで、手癖でツイートを検索してみると自業自得とかこいつが悪いんじゃん!って声が多いこと多いこと。
自分の考えは人が死んだとして、人が死んだらみんな平等に尊ぶ存在になるんじゃないかなって思うわけよ。よほど特殊な事情でもない限り。
遺族に同情とかそういうわけではなく、死んだらみんな仏になるんですよ的考え。
あ、でも責任問題とかの話になったら誰が悪いか決めなきゃだよね。世の中を回していく仕組みとして。ただし、それを決めるのはこう騒いでる人たちではないわけで。
で、こういった話で名無しでもないのによくまあ文字通りの死体蹴りのようなことをみんな名無しでもないのにポンポン書くなと思ったけど、自分を多少は自業自得じゃんということを思わなくもなかったが、ツイートするぞ!ってエネルギーまでには昇華しなかった。
思えばこういった発言は昔の2ちゃんとかの中であふれてる役割だったなと思ったが。みな個人ホームページにミクシィなどで発信はできてもこういうことは言ってはいなかった。
まさに死体蹴りのような書き込みは2ちゃん(のアレな板)での役割だったような気がする。この2ちゃん、またーりなところもあるけどヒドイところはヒドイ。
ここで思った。世間では2ちゃんは名前がない状態で匿名発言をするからヒドイ言葉であふれているというが、それは実は違うんじゃないかなと。
ツイッターでも実名でとんでもない差別発言をするケースはあるし、匿名性はあっても個を識別できるツイートで2ちゃん並みの発言をするケースは目立つ。
2ちゃんの攻撃性を誘発するところは、その手軽さだったのではないかと今思えばあったのではないかと。名前はもう入っている、名無しと。加えてタイトルを考えなくてもよい。脊髄とより直結したもののようになっている。おまけにスラング的なものが出そろってて自分の言葉で考える必要ないし。
こういうの見てると、昔はよかったというのは本当にないんだなと思う。まとめブログとかみたいなアクセスを気にしまくってるブログもこういう表現はあえて拾ってるような気もするし、やっぱりみんなこういう発言を見たいのかなとか思うと中々気分わるなってしまうので、こういう話題検索は非常に精神衛生上よくないな…。
世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ。それも嫌なら…
って死ぬほど言われまくってるセリフを思い起こしてブログで独り言いってます。
なぜ保育士5万月給アップが支持されないっぽいのか
東京新聞:保育士月給を5万円アップ 5野党が法案提出:政治(TOKYO Web)
この法案、そこらで話してるのを聞いてると結構支持を得られているかというとそうでもないような感じがする。保育所と待機児童の問題は急務ともいえる状況は社会的に十分認識されている。保育所の不測の要因のひとつである保育士不足という点の対策にはこの5万円の月給アップは思い切ったことに見えるかもしれないが、実はこれしかないんじゃないかなという気もする。
しかしながら、自分の周りの話を聞くと中々支持を受けている政策案とも言い難い。ネットでもそういった声は見られる。かつての民主党政権のときの大風呂敷を思い起こさせるような法案に見えたというところが大きいのだろう。近頃は人事院勧告やらなんやらで、結構給与が上がっている役所の話を聞くのでべつに埋蔵金を探すまでもなくそこらのお金をまわせば難しくもないんじゃないかと思うけど。
できる、できないで支持するのはさておき、この法案は社会になくてはならない保育士の待遇が悪いといういわば人柱的な状態にあるのをなんとかしようというものだが前述のとおりの反応である。
これは保育士は必要だという認識はしっかり社会で共有できているくらいなのにだ。
今政策などを打ち出すとどれも特にセンセーショナルに支持を集めるのは見なくなった。こういったものは小泉総理の時くらいだろうか。
この小泉改革は既得権益に切り込んでいくようなスタイルが働けど畑を耕せどといったといった人々に支持を集めた。その結果がその人たちにどのようなものだったかはさておき。
その時から非常に強く感じたが、困っている人に寄り添うような政策を打ち出すのもなかなか支持を得られにくく、何を敵にするかという議論が非常に目立つような世の中であるなと言われるまでもなくだけど思いますたとさ。
バブルがはじけてからは日本は閉塞感が支配している。こんなときは何をやってもダメな空気がよりこの敵を作り切り込んでいくスタイルを魅力的に引き立てていくものだ。たしかに戦うってのも魅力的に見えるけど、みんなで妥協してこーぜーてな生き方もいいと思うんだけどねと。
パンク、オルタナティブとしてのオタク ~少女誘拐監禁犯のオタク趣味報道を見て~
ちなみに誘拐監禁行為がパンクだとかいうのじゃないです。犯罪です。
女子中学生監禁男「女子高生アニメに熱中」記事にアニメファン反発
埼玉県朝霞市の女子中学生を約2年の間監禁した疑いで身柄を確保された寺内樺風(かぶ)容疑者(23)について、一部報道がアニメ好きであったことが誘拐・監禁に結びついたよう印象づけたとして、アニメファンたちがネット上で一斉に反発している。
批判を浴びているのは日刊スポーツの「女子高生アニメに熱中…寺内容疑者の素顔を同級生語る」との記事。寺内容疑者の高校時代の様子を当 時の同級生に取材したもので、同容疑者がアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」のファンで、かばんにグッズをつけていたアニメオタクであったと伝えている。この記事 はテレビのワイドショーでも取り上げられた。
と、まあこういったのも今更感あるし反応するのも陳腐な気がしなくもない。しかしながら、一連のみんなの反応を見てるとそういえばロックが不良とかそういうのが言われなくなって久しいんじゃないかと思った。
世間のすべてに理解されないが自身の信念を貫いてるようなのってもはやオタクしかないんじゃないかと。
様々なグッズやイベントにじゃぶじゃぶと金をつぎ込んでるのは、逆に反資本主義的なパンクを感じなくもない。
マルコム・マクラーレンの息子、8億円相当のパンク・コレクションを燃やす理由を語る | NME Japan
そこで思い出すこの記事。パンクが体制側のお墨付きをいただいた昨今、このセックスピストルズのマネージャーを務めたりHIPHOPなどに影響を与えたマルコムマクラーレンの息子がこの膨大な金額になるとされるコレクションを燃やす理由の一つとして、これをありがたがる人々は金額にしか興味がないんだろうと。
と、ここまで見るとコレクター的な気質を持つオタクはこのパンクの精神に反しているように見えるが、今日本は多少景気が上向いた(と、されてる)状況ながら皆が平等に貧しくなりつつある。一部の人々を除いて。
そんな中、消費は美徳ともされなくなる中オタク的消費は中々理解されがたいであろう。さらには拝金主義にもオタク的消費は金の価値を重んじているような消費には見えない異質っぽさがあるのでは。
以前、最近のオタクはクリエイテブではなく消費ばかりしかしなくてつまらないという声を見た。オタクが変質してお金をいっぱい使ったらスゴイみたいな世界もようで、みんなが眉をしかめるような金の使い方が前述の記事にある現金燃やすKLFみたいに思ったりした。