コードギアス 亡国のアキト 最終章 愛シキモノタチへを見た。
コードギアス 亡国のアキト 最終章 愛シキモノタチへ
見ました。前章を見忘れたので追いついてから。
大分時間が経ってたので、アヤノ、ユキヤ、リョウの三名の日本人たちがアキトらといつの間にこんなに仲良しになってたの?という感覚になったが…。
あと、このコールドスリープのおっさん誰だっけ…?ってか起きたけど何にも本編にからまなかったんかい!みたいな。
コードギアスといえば、オリジナルの方は知略を駆使したダークヒーロー的な主人公がきれいごとを抜きには世界を変えられないぞという独善的なストーリーだった。そんな主人公ルルーシュが感情に振り回されたりしつつも、我を通しつつも自己犠牲に殉じるところが印象的だった。
このコードギアス、色々書き始めると長くなるから今度。
コードギアス 亡国のアキト 全編を通して
劇場版アニメのこのシリーズ、オリジナルのコードギアスとして表現をするところの違いは、登場人物が成し遂げることを目的としたオリジナル。対し登場人物が救われる結果としたのが亡国のアキトであると考えた。
アニメに限らず、物語が結末を迎えるにあたり成し遂げるか救われるかという2種類が主にあると考えているが今回は後者だった。そう考えるとコールドスリープのおっさんの目覚めも救いの描写として必要か。というか時間あったらあのおっさん活躍したのかな。
ブリタニアの騎士たちも終始騎士道とやらにこだわるポンコツとして描かれてたけど、最後なんか報われたような感じでよかったね。本編オレンジおなじく。
コードギアスシリーズは監督曰く結構政治的社会的な思想を反映させたところがあるそうだけど、オリジナルも劇場版もどちらも”思い”というものをとても重視している物語だ。
知略で世界を動かしたオリジナル、世界の大局で翻弄される劇場版。どちらにおいても”思い”が確固たるものになったとき物語は動く。劇場版なんて精神が物理現象起こすし。っていうかガンダムじゃん。さすがサンライズ。
テクノロジーによる精神の拡張と対話みたいな、ガンダムじゃんとは思うがそういうアニメ結構あった気が。遅刻しそうで走ってたらぶつかっちゃうような定番としてもいいんじゃないかとか考えたりするのであった。