cafe dé nanntoka

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君主論と日本の政権交代とか野党の迷走とか

日本も55年体制の崩壊や、鳩山政権の誕生などいろいろなことを経てまた安倍晋三総理の率いる自民公明連立政権が過去最高の支持率を得たところでしばらくこの状態が続くのかなと思う次第。

そういえば、昨年の参議院選挙においては与党が大勝しその体制を盤石なものにしたわけだが、党首の方々がNHKの番組において討論をしていたのをふと思い出した。民進党の初代代表の岡田代表が、安倍総理のたしか実質賃金が何期連続だったか上がり続けているという主張に対し、それに対しては様々な議論があるという程度にとどめた発言をしていたが、じつのところはその何期連続と切り出したところは確かに上がっているが、その前にはがくんと下がっているのにとそのときは思った。

岡田氏もまあそこら辺はわかっているのかと思うが、あまりにもつつきすぎると自分たちが万が一政権を取った時につつかれかねないような懸念でもあるのか。

 

日本の経済関係はよく為替レートなんかに振り回されているのでは

そういえば、結局のところ経済関係や景気対策にいろいろな政策を打ったところで、国際的な相場や株価なんかでその努力は水泡に帰してしまったりといったことなんかが多かったりする。

そんなことをやはり選挙の公約の目玉にもってくるのってやはり難しいのかなと想像する。

 

マキャベリ君主論を思い出してみる

マキャベリ君主論は統治の方法論をまとめた書であるが、統治というものでも政治にあてはまるところが多いのではないかと。マキャベリは元にいた君主を追い出して、新しい君主が入ってきたとき、その君主は前の君主を追い出し、その君主がしていたような統治体制をすれば良いと説いた。民草は結局のところその暮らしが変わらなければ誰でもよいのである。

今の日本経済に対する景気対策というのも、国民が政権に期待することとして常に大きいパーセンテージをほこるものであり、現代におけるまさに統治行為の中核といっていいだろう。もともと効率よくやっていたことの踏襲である。

 

しかし、差別化は必要

そんなことなら、今の民主主義に野党というものはいらないわけだが、もちろん様々な利益の調整や思想的な違いなんかもあるのでまたそれは別の話なんだけど。そして、現代の統治行為たる景気対策なんかは踏襲するとして、政権を奪取するための闘争といえるようなものとしてその他の政策の差別化ということになるんではないだろうか。

それは外交で差をつけるといったことや、これは政策とはなんの関係もないけど漢字テスト(爆)をやってみたりして政権の資質を問うとかそういったことなんだろう。

 

国民が期待するのは景気対策という声が大きいからこそ

景気対策を期待する声が大きいからこそ、堅実に以前の踏襲になりがちになってしまうのであり、それ以外のところで勝負せざるをえない野党が迷走しているように映ってしまうのではないだろうか。色々手を打ったところで世界の様々な情勢でパーになるんだろもの。

やはり、こういったことを思うと政治への無関心が加速してしまうようにも思えなくもない。もちろん、各議員や大臣が担当したときの様々な政策の違いなんかはいろいろ見えてくるんだけどそういったものはやっぱり見ていきたいなと。