cafe dé nanntoka

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ヒッドイのは匿名だからじゃない ~新潟上越高田のボート転覆事故の話題を見て~

 堀でボート転覆、少年1人死亡 新潟・上越の高田城:朝日新聞デジタル

 

 このニュース、事故の状況の目撃者が話すところによるとこの少年たちがふざけてボートを揺らしていたという話があったという。そこで、手癖でツイートを検索してみると自業自得とかこいつが悪いんじゃん!って声が多いこと多いこと。

自分の考えは人が死んだとして、人が死んだらみんな平等に尊ぶ存在になるんじゃないかなって思うわけよ。よほど特殊な事情でもない限り。

遺族に同情とかそういうわけではなく、死んだらみんな仏になるんですよ的考え。

あ、でも責任問題とかの話になったら誰が悪いか決めなきゃだよね。世の中を回していく仕組みとして。ただし、それを決めるのはこう騒いでる人たちではないわけで。

で、こういった話で名無しでもないのによくまあ文字通りの死体蹴りのようなことをみんな名無しでもないのにポンポン書くなと思ったけど、自分を多少は自業自得じゃんということを思わなくもなかったが、ツイートするぞ!ってエネルギーまでには昇華しなかった。

思えばこういった発言は昔の2ちゃんとかの中であふれてる役割だったなと思ったが。みな個人ホームページにミクシィなどで発信はできてもこういうことは言ってはいなかった。

まさに死体蹴りのような書き込みは2ちゃん(のアレな板)での役割だったような気がする。この2ちゃん、またーりなところもあるけどヒドイところはヒドイ。

 

ここで思った。世間では2ちゃんは名前がない状態で匿名発言をするからヒドイ言葉であふれているというが、それは実は違うんじゃないかなと。

ツイッターでも実名でとんでもない差別発言をするケースはあるし、匿名性はあっても個を識別できるツイートで2ちゃん並みの発言をするケースは目立つ。

2ちゃんの攻撃性を誘発するところは、その手軽さだったのではないかと今思えばあったのではないかと。名前はもう入っている、名無しと。加えてタイトルを考えなくてもよい。脊髄とより直結したもののようになっている。おまけにスラング的なものが出そろってて自分の言葉で考える必要ないし。

こういうの見てると、昔はよかったというのは本当にないんだなと思う。まとめブログとかみたいなアクセスを気にしまくってるブログもこういう表現はあえて拾ってるような気もするし、やっぱりみんなこういう発言を見たいのかなとか思うと中々気分わるなってしまうので、こういう話題検索は非常に精神衛生上よくないな…。

世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ。それも嫌なら…

 って死ぬほど言われまくってるセリフを思い起こしてブログで独り言いってます。