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cafe dé nanntoka

1に酒、2に音楽、3にアニメ、3、4がなくてあと余談

諸君、私はガンダムが好きだ ~鉄血のオルフェンズ1期終~

アニメ ガンダム 機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ

ザクも好きだ。というかどちらかというとザクの方が好きだ。

と、いう話題はおいといて機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズが終了。2クール構成の割にあんまり話進んでない?と思ったら分割とのことで、秋の2期に期待。

 

この物語をガンダム的にどう位置づけるかについて。

宇宙世紀という正当なガンダムのストーリーは、その年表に規定の事実がありそれを検証するかのように物語が進んでいく。ガンダムという作品がアニメ史において特に重要な点は、続編が同一の世界のその後の具体的な年月の流れの後に続くというモデルをつくったことにあると考える。

この歴史の検証的な物語の作りはスピンオフや様々な商品展開にこそ有利に働いたが、ガンダム宇宙世紀の歴史の中の一つであるという人間のちっぽけさが続編に続編を重ねていくうちにのしかかってくる。

機動戦士ガンダムUCにおいては、その大きな流れにおいてちっぽけながらも抗うことにひとつの答えを出したといえる。

 

宇宙世紀以外でのガンダムではどうか

宇宙世紀以外のガンダムはこういった宇宙世紀の歴史の束縛を逃れ、登場人物たちに感情移入するようなものもあった。SEEDなんかも、登場人物の揺れ動く恋愛的なのもオマケ的にぶっこもまれてたね。

 

結局黒歴史化する

実のところ、ほとんどのガンダム作品は行き着くところはターンAガンダム黒歴史である。すべてのガンダムの文明が滅び、その後にターンAガンダムの世界となる。

こういった考証や公式の設定が付け加えられるたびに、ガンダムという物語は感情移入というよりその行く末を見届けるような感覚で見てしまう。

 

ガンダムにおける人間らしさ

08小隊やポケットの中の戦争などといったOVAは人間が人間らしさを失いがちなガンダム戦場においても、それぞれの登場人物を人間らしく描いていた。

しかしながら、シャアとアムロの関係のようなものや色々頭のねじがぶっとんだような登場人物など戦場においては人間らしさを失ってしまうようなのがガンダムの世界の常である。

自分はこの機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズは鉄華団の少年たちが狂った世界で人間性を保ち続けて生き残る物語になると最初は考えていた。ところが、最終局面に至ってその予想はかなり外れた。

ビスケット戦死後の手段を択ばない三日月の戦闘スタイルや団員が命を顧みない行動を多発するようになるなど、なかなか狂っている。というか、狂っていかないとこの世界は生き残れないんだろうという感じ。

今作の鉄血のオルフェンズは脱冨野という色を強く打ち出した作品と感じたが、やはりガンダムという名を関するだけあって自分はガンダムらしさを感じた。ガンダムらしさとはモビルスーツのデザインではない。狂った宇宙世紀を戦い抜く狂った登場人物たちの行く末を見届けたいという気持ちにさせるということだろう。共感や元気をもらうといったことではないんだガンダムは。

そんな物語