cafe dé nanntoka

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保育所関連の話題に思った感謝の危険性

とある議員が東京の保育所不足に関連して、東京はある程度不便でないと困るというもの。東京がドーナツ化現象などを経てもいまだに高い人口の密集率を誇る現在において、物価や家賃相場に給与など様々な要因があるが保育所はこれら判断材料の中に含んではいけない。都会だろうが人口密集地だろうが、そこに子供をいれる必要な家庭があればなければならないのが普通である。電気や電話、郵便局(最近厳しいけど)と同じでなければならないはずではある。

 

この発言の叩かれっぷりはすごいが、この保育所関連の話題について前から緊急でしないといけないのではないかと思ってはいたけど意外にも世間話をすると「仕方ないよね」みたいな声を聞く。

それらの声の人は世帯年収が低いため安い金額で入れたといった世帯や、なんとかギリギリで入れたと話していた世帯であった。それらの世帯の人は、保育所に入れなかったひとに対して非常に同情的ではあったが、仕方ないねという声ではあった。自分たちが入ったのにこの人たちは入れないのはおかしい!という声ではなかったのは決して他人事ではなかったのではないかと考えている。

 

これらの人々は保育所に入れたことをどこか恩恵的に考えているようなところがあったのだと思う。ありがたいと。感謝の気持ち。そういった考えは謙虚さとして美徳として社会に広く受け入れらるものではあるが、こういった当然に生きていくうえで保障されているものを希少なものにしてしまうところがある。

 

関連して、最近とある書籍をなんとなく手に取った。そこには亡くなった方々への思いをその関係者が手紙にし、投稿したものを載せるというものだ。その中にひときわ目を引く内容のものがあった。とある管理職と部下の関係で、部下が管理職あてに書いたものだ。その部下が入社したての頃、医者に行きたいから保険証が欲しいと申し出たところ「いつ辞めるかわからない者に保険証をだせるわけがない」と、叱ったそうで保険証を持たずに医者に掛かって多少面倒な手順を踏まなければならなくなったそうである。この会社との雇用関係がわからないので、健康保険の加入の要件はどうなのかはわからない話ではあるが、当然に持てると思われた健康保険に入れないのはちょっとおどろく。法令順守とかそういう理屈を並べるまでもなく当然入れると思ってたから。

しかしながら、この部下はこの言葉を大変ありがたく思いそれで闘志を燃やして頑張ったそうだ。当然と思われることをありがたいことに思うような思考がこの部下にその後の文章でもあり、自分としては違和感があるのではあるがこの管理職と部下の関係は他人がとやかくいうものでもないかなと思う。

 

このようにして、当然であることに感謝を見出してしまうと、ありがたいと思うことなので仕方ないかと差し出してしまうことがあるのだ。この管理職と部下の場合は保険証を。同じことが保育所のことに関してそういった空気が自分が話した相手からは聞こえてきた。

この保育所関連で声をあげてる方々、非常に激しい表現をする場合もあっていわゆる権利ばかり主張する醜さ的なものを感じたりするアレルギーもあるかもしれないけど、権利とかそういう問題を持ち出す前にそうあるべきなんだよなと。

だって、ちゃんと水道料金とか払ってて清く生きてた人がいきなり「水道止めます、水道欲しかったら他のとこに引っ越して」とか言われてブチ切れるのに「権利が!」なんてまず言わないでしょと。権利って言葉持ち出す前にそうなってるのがふつうって思うんだし。

感謝はもちろん好きだし、そういった心がけは持つべきだと思うけど当然にあるべきものを見失わないほうがいいよねと思った次第。