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cafe dé nanntoka

1に酒、2に音楽、3にアニメ、3、4がなくてあと余談

安心を得る(随筆)

ジョジョの奇妙な冒険DIO様曰く

人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる」

 

名声を手に入れたり人を支配したり
金もうけをするのも安心するためだ

結婚したり友人を
つくったりするのも安心するためだ

人のため役立つだとか愛と平和のためにだとか
すべて自分を安心させるためだ
安心を求める事こそ人間の目的だ

 と。非常に自分としては反論がない。

もちろん、こういった通常の人間社会における安心を得るための”収まる”何かに入れそうにない人たちはそれぞれで心のよりどころを得て安心しようとする。そういった人間社会の通常の営みを外れて安心を得ようと狂った(ように見られている)消費をしたり、浮世離れしたような人をバカにすることによって自身の人間社会で安心を得るための営みの価値観を確認しているのだろう。

今日は仕事で会う人と、このままの仕事をするか独立するか、実は定職に就かないほうが楽に生きれるんじゃないかとか色々と語り合う機会があった。定職かつ一番しんどそうな仕事の人が、雇われたままずっと続けるのが一番確実かつ安心を得ることができると必死な感じで説いていた。

もちろんこんな会話ただの世間話みたいなもので、まじめにはなしてはいないがちょっとマジなトーンだったので多少驚いた。

一番しんどそうな彼だったからこそ、やはり安心を得るための営みの価値観の確認をせずにはいられなかったのだろうか。それはやはり彼の意図しないところではあると思う。

こういった価値観のぶつけ合いみたいなことでなんてことはない世間話でムキになることは自分も含めてよくある。

しかしながら、たとえばこの彼のようなしんどさを麻痺させるために置かれた状況よりも価値観の確認を強固にするような心理作用を持ち出すって、近年のブラック企業などに振り回されてる日本社会においてはちょっと危険な感じだよなーって思ったりもした。