芸術と人間性は関係ある
ですます調でいままでブログ書いてたけど、なんかしっくりこないのでやめた。
連日、ヴァイオリニストの高嶋ちさ子氏の子育てのあり方について連日の炎上ぶりを見かねてか、同じくヴァイオリニストの葉加瀬太郎氏がこんなツイートで擁護をしていた。
友人高嶋ちさ子の子育て論炎上について一言。ゲーム機を壊す事の良否は結構、でもそれだけで彼女の人格をとやかく言う事は間違ってます。もし彼女の人間性に何か言いたいのなら、まず彼女の音楽を聴いてからにしなさい。あんなに純粋で美しい音色を奏でられる人に悪い人がいるわけがないから。
— 葉加瀬太郎 (@tarohakaseHATS) February 21, 2016
ゲーム機を壊すことのみにおいて、高嶋氏の人格をとやかく言うことは間違っているとのこと(実際はもっと色々過去の発言を引っ張りだされてはいたようだけど)。そして、純粋で美しい音色を奏でている人に悪い人がいるわけないとのことだ。純粋で美しい音色を奏でることのみで人格を判断しているようにも思えなくもない発言ではある。
この、ツイートでまたこのトピックはホットになっていったが、あわせて芸術と人間性は関係ないという意見と音楽狂人列伝のような話がたびたび目に留まるがやはり芸術と人間性は関係ないという意見が目立つ。
思い出すが、過去に覚せい剤で捕まった芸能人でなかなか戻ってこられない状況になった人もいれば、国民的ヒット曲を書くまでになる人もいる。素晴らしい芸術というもののにはその人の悪いことを流してしまうような効果がある気がする。
これから高嶋氏の音楽を聴いて、この人は悪い人ではないと思った人はこの効果があるのではないかと思う。
実際にあったこともない人の印象が悪くなってそのあと良くなるなんだからそんなもんだろう。
そのような効果で、素晴らしい芸術を作る人の人格的批判を免れないようなエピソードもその人物と芸術を一体たらしめる美談のようになるが、とりわけ音楽では多い気がする。
タイトルの芸術と人間性は関係があるとしたが、我々が主観的に判断する人間性に芸術は関係ある…。という至極当たり前のことでした。
思えばみんな履歴書で俺の人間性否定しやがってとか、仕事できないからって人間扱いされないとか、学歴なんて人間性関係ないだろとか思う機会あると思う。
相手の人間性なんて結局のところよくわからない場合が多い。生きてれば、芸術ではない様々なことで人格を否定されることは当たり前のようにありますよということ。